最近、ちょっと頭が腐っている感じで、いや、かなり、で、ちょっと自制したほうがいいなあと思っているのですが。えっと、本当はそのへんの話をあまり表立ってかきたくなくて、だって、恥ずかしいじゃないですか、どうしたって、ええ。けど、なんか、ちょっと、これはメモしといた方がいいなあって、思って、メモ。
BL小説を読むようになって、(BLっていう言い方慣れないなあ、ほかにいい呼び方はないのかしら・・・)思うことは、「なかには本当に文章をかくのが下手な人がいる」ということと、「けど、本当に本当に下手でなければ、重要なのはそこじゃない」ってこと。それは、小説に限ったことじゃないけど。重要なのは、どれだけ要求をみたしてくれるか、言ってみればどれだけツボが合うかということなんだなあ、と。だから、みんな、同人誌を血眼になって探すんだろうな、ほんと魔道だよなあと思うわけですが。そのツボっていうのは、多分、年下攻めとヘタレ攻めとかスーツ萌えとかそういうことよりもっと、違うことなんだろうと、いや、もちろんそれもあるけど、本当に得たいのはもっと深いとこだろう。というか、スーツ萌えとかリーマン萌えってのはおそらくスーツに対して萌えるわけじゃなく、個々人がスーツにもつ感覚とか感触とかが重要で、同じスーツ萌えでもその根っこは人によってかなり違う場合もあると考えられる(わたしはちっともスーツ萌えじゃないが)。逆に本当にスーツそのものへの執着とか嗜好とかもあるし、2層あると思う、2層じゃなく2種な場合もあるだろうし。個々人の中に両方があって、タイプ分けされてる場合もあるだろう。カップリングの好みにも同じようなことがいえるだろうと思われ。とにかく、もう、ぴったり自分のツボや弱いところをついてくるものを求めたいというところから、これだけいろんなものが氾濫するし、氾濫したら、得やすくなる面もあるし、見えにくくなる面もあり、要は「ツボが重要なので本当に下手なひともいて」「それによって表層的なものも増え」「結果として深いツボにはまるものは少なくなる」というような構造になってるとこがあるなーと思う。単純に数が増えたら、玉石混合になるってだけのこととも言えるが。けど、ずうっと漁ってれば、「おおう」と思うようなピタッと感も得られるし、表層的なものに自分の妄想をつけたして満足することも可能になってくる。
最近、わたしは、木原音瀬を読み漁っていて、なぜ嵌るのかという理由のひとつは明確にわかっていて、それは「白痴萌え」だからということ。けど、書いている方はそんなこと考えていないかもしれない。わたしが嗅ぎ取る「白痴」は違う言葉で言いかえることができる、「純粋」「不器用」「やさしい」「愚鈍」「要領が悪い」などなどに。けれど、わたしはそれのどれでもなく、木原音瀬の小説から「白痴」を嗅ぎ取るし、体感する。それは、わかりやすく「白痴」だと思われるようなキャラが登場しなくても、嗅ぎ取る。そいで、わたしのなかで「白痴」に待ち受けるものは「転落」とか「報われなさ」とかであるという絶対的な感覚がある。これでもかと打ちのめされるということへの求めが「白痴萌え」に妙にからまっている。それは純粋だから傷つくとかそういうこととはちょっと違う気がしていて、白痴のなかには計算とか性格の悪さとか開き直り感とかがかなり多く含まれていて、そうすると、もうそこには「転落」しかない。もともと救いようのないものには救いようのない道しかないっていう感じ。で、木原音瀬の小説を読んでいて感じるのは、もう、もともとが「転落」なんだな、という感覚。ふつうに玉を転がしたら転がるくらいの自然さで、救われなさというのが書かれている気がする。だから、その転落をとめたり、のぼっていったりするときに、かなり無理のあることが起こる、または無理のあるようにみえる気持ちの転換が起こる感覚がある。または、転落し続けているんだけれど、からだがふくらんでとまった、だけ、相対位置がかわっただけ、ということもある。ここにBLどう関わってくるんじゃ、という感じだが、関わってくると思う。どう関わってくるかはうまく言えないのだけど、多分みんなそうだと思うけど、どうして男同士を求めるの?ということの答えを明確にできない、どうしてかわかっているようで、わかっていない。ただ、いえるのは、すごく、こう、後ろめたいものである、ということがひとつあると思う。わたしは自分の「白痴萌え」の正体をうまく説明できないが、たぶんそれは気持ちのいい爽やかなところからやってくるものではないと思う、なんとなく後ろ暗くて恥ずかしいところから起こってくる感覚だと思う。そう思うと、そのツボをついてくるものも、おそらく気持ちのいいものでは、あまりないだろうし、どちらかというと業が深いものだろうなあと感じる。けれど、それがある程度の人気を得ていて、そして、それを読んでいるそれぞれがかなり違う体感でそれを求めている可能性があると考えると、なんか凄い世界ではあるなと思うのだ(要は業の深さを感じないひともいるし、白痴萌えじゃない場合もあるしってこと)。ただ、その業の深さ感というのを、BLというかたちが、許してくれるというか、ものすごく安心感の中で感じさしてくれるというか、それはひとつあると思う。木原音瀬の小説を読んでいると、この人は違うものもかける可能性はあるよな、と思ったりもする。思ったりもするのだが、もし彼女が「白痴萌え」ならば、やっぱりBLでないとだめなんだろうなと思う。これほどに転落と転落からの回復あるいは転落そのものを書けるのはこのジャンル以外にない気がするからだ。転落のきっかけ、転落からの回復のきっかけを女の人が与えることになると、どうしても、自分をその女の人に投影する作用が入ってくる。そうすると、一気に現実的になるのと同時に、より出口がみえないような状況になるからだ。なぜかというと無理のない方法がもしかしたら可能になっていくかもしれず、けれどその無理のない方法にはかなりの地道さがともない、その際想像される関係性の即物性はとても苛烈だろうから。そしてそれを考えてしまうだろうから。ぶっちゃけていえば、現実でありたくないという感覚がはっきりとそこにはあると思う。カタルシスが得られにくい。逆に女の人が白痴だった場合、そこへの男の目線があってしかるべきで、それにもまた耐えられないだろう。純粋に、「転落するのがあたりまえ」「あたりまえが転覆してなんとかなってほしい」もっと言うと「奇跡がおこってほしい」と体のそこから安心して感じられる場がBLであって、その一方で実際は奇跡でなく無理のあるもっといえば周りを傷つけたり排除したりすることによってなされる転覆でしかなくて、それは死屍累々とそこに横たわっていて重い、その葛藤がそのまんまかかれているような気がして、だからこそぐるぐるとしているのだろうと思う。ぐるぐる。不安を感じることも許される安心世界みたいな感じ?ここにいていいのかな、けど、どうしよう、いたいけど、でも、と感じてもいいんだよと、また、その先に感じること(もっともっと生理的なとこ、口開けっ放しにするとよだれたれるみたいな感覚)も許してあげるよっていう。なしくずしまで一緒にいってあげるよっていう感覚?うまくいえないんだけど。
つか、なんでこんな語ってんでしょうね!わたしは!でも、なかなか整理されていかないことってあるよね。。言葉が上滑りしていくなー。



あと、最近読んだ本


ほかに誰がいる (幻冬舎文庫)

ほかに誰がいる (幻冬舎文庫)

田村はまだか

田村はまだか

書店員の友達がお勧めってことだったんで、読みました。
内容に似合わず、文体がクールなのがとても素敵だし、男の子のあり方もとても素敵だ。この淡々感がとっても胸に突き刺さるのだった。。さっそく「田村はまだか」も買っちゃいました。まだ読んでないけど。


gift (集英社文庫)

gift (集英社文庫)

古川日出男を順番に読んでいる。
これは短編集。面白いのもありそうでないのもあり。なんか、めちゃくちゃ爽やかな味とめちゃくちゃエグい味のガムを一緒に噛んでいる感じで、それがおー旨い、って思えるときと、うえ不味って、思えるときがある感覚。で、脳内では透明なガラスとむらがある色の木切れがくるくるまわってる感じ。長編だとつきぬけて気持ちイーになるんだけど、短編だと、難しいのもかなりあるな、と。