わたしと(の)K-POP 佐野狂いまで ③ サバイバルとA.C.EとWOW中毒

2016年の半ば、自分にとっては人生で3本の指に入るしんどいことがあり、今までの人生が、全部ひっくり返されたかのような、立っている場所もないような、非常にハードな精神状態に突入してしまいました。自分に対するなけなしの信用ががたがたと崩れる音がして、そこから特に2年ほどは、日々を終わらせるだけのことがやっとの状態でした。そして、今もなかなか回復にいたれない部分があります。

 さて、ということで、また、深いハマりがやってくるタイミングが訪れたというわけです。2017年、特に、ヤバい精神状態と仕事での責任の変化が相まって、ゾンビのようになっていたそのとき、PRODUCE101S2を見始めました。ここで、私は完全に、分量がないけど健気に頑張る日本人高田健太に自分を憑依させて番組をみていました。彼がアイドルとしてどのような存在なのかということとは関係なく、限りなくハードな状態でサバイバル番組に挑む、また、おそらく、デビューできないであろうという予測も込みで、自分のハードさと彼の置かれた運命のハードさを重ね、自分の現実をスライドさせました。ですので、ここで、プデュにハマったのと同時に、そこに、ステージ上での輝きを見ているわけではなかったということです。歌やダンスをそこに見出したわけではなく、ただハードな状況にある若い人たちをみていました。それは自分がハードな状態にあったからにほかなりません。高田健太に自分を憑依させつつ、私は、ヒョンビンのぎこちなさと、キム・ヨングクの容姿にハマり、ステージそっちのけで、そこと周辺とで行われる、凄惨な祭りを眺めました。それは、北斗の拳にでてくる、人々が巨大な鉄板にのせられて熱せられるシーンを彷彿とさせ、それを止めるケンシロウはあらわれない、という感じでした。私も積極的に鉄板に乗って、自分のハードさとプデュのハードさを一生懸命踊らせたと思います。

   高田健太に自分を憑依させていたので、コンセプト評価で彼がいたグループが一位になりMCOUNTDOWNに出演したとき、録画をしてまで通しで見ました。そうしたら、番組の冒頭にA.C.Eというデビューしたてのグループが出演していて、ものすごくキリキリした曲とダンスを披露していました。これが、A.C.Eとの出会いでした。ほかのグループにはない、極端さがあり、興味をひかれ、そこから、彼らが公開していたコンテンツを見るようになりました。はじめて彼らをみたとき、私はTwitterでこうつぶやいていました。「自分のセンスのあいかわらずさが残念」。

   ここから、私は少しずつA.C.Eの沼に入っていきます。彼らの映像などを色々みていくうちに、どうやら事務所にお金がなさそうだということがわかりました。デビュー時、曲は一曲だけ、CDは限定、活動のメインはバスキン(路上ライブ)、デビュー曲はcactus、ずっと孤独でいて最後に花を咲かせるサボテンに自分たちをなぞらえた曲で、MVでは冒頭目隠しされているところは、練習生時代を表現していて、最後は地下から光のあるところに走って出ていって夢を叶えるところを表現している、、、このように並べてみると、近づいてはいけない地帯だということがわかります。が、学生時代にインディーズバンドを追いかけていた身としては、彼らの闇雲ともいえるドブ板選挙のような活動は、なんとなく、馴染みがあり、他のグループと比べて少しズレたセンスにも独自性というポジティブさを感じて、見られるものを順番にみていきました。また、同時にTwitterなどでも情報を探しましたが、日本での認知はほぼなく、普段からアンテナを高く張っているであろう数人がおもしろい楽曲として取り上げているか、音楽番組の収録の際のペンミやバスキンに通っている数人が、運営への不満やメンバーと話した様子などを生々しく話しているだけでした。正直、これが、売れていないアイドルの世界か、、とひるんだのを覚えています。

 


A.C.E(에이스) - 선인장(CACTUS) MV


뮤직뱅크 Music Bank - 선인장 - A.C.E(에이스) (CACTUS - A.C.E).20170526

  

 

 そんな中で、あるバスキンの映像をみていて、1人だけものすごく自然な動き、一切無理のない動きでダンスをしている子がいて、目をひかれました。(デビュー曲でのダンスはあまりにもきりきりしていて気づきませんでした)それがWOWです。(以下に貼りつける映像、ベージュの服がWOWです)

 


Chris Brown - Fine China Dance cover Busking in Hongdae

 

 そこから、私はWOWのダンスを狂ったようにみはじめます。その時点では見られるものは多くなく、バスキンの映像、カバーダンス映像、ワンミリオンスタジオでの練習映像くらいでしたから、それぞれおそらく100回以上は見たと思います。彼のダンスは、見れば見るほど、私にとっては奇跡的なものでした。まるで身体の中心にブラックホールのようなものがあり、彼の身体の動きは全てそこから発せられ、そこに還っていくように感じられました。また、彼の胸から腹部にかけては、本当に彼の身体の中を波や風が通り抜けているのではないかと思うほど滑らかに動くのでした。彼の動きはどんなに激しい振り付けの中にあっても急いでおらず、音にそうように存在し、彼のお腹はまるで世界の中心、宇宙の中心のように、どんなに手足を動かしても、お腹そのものが波のように動いても、少しの不安もなく同じ場所に存在し続けるのでした。まるで、彼自身がお腹に地球そのもの宇宙そのものを宿しているようで、それは本当に深淵にも感じられました。

 

 

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170915 A.C.E(에이스) 한강공원 버스킹 #love more(Dance) WOW직캠

 

   私にとって、アイドルのダンスというのは、常に、彼らがどのような存在としてみられたいかということを示すものであり、彼らの葛藤が無意識的にあらわれる装置のようなものであり、まさに彼らの自我があらわれる場でした。しかし、WOWのダンスからはそういった自我がほとんど感じられず、かといって、体力的な消耗があらわれることもあまりなく、彼の動きのモチベーションがどこからやってくるのか、よくわかりませんでした。けれど、彼の動きは本当に自然で、常に身体の各部位の動きが完全に調和しており、火山から流れでる溶岩のようにただ物理にしたがって生じる、自然現象のようで、そこに、私は驚異と快感を感じました。彼のダンスをみているとき、いままで常にあった、アイドルのダンスから感情の流れや、ぎこちなさ、自分を押し出そうとして生じる無理のある身体の動きを、どうにかして見出そうという視線が消え失せ、ただただ、音にそった驚異的な身体の動きをみて、すごい、すごい、と思うだけになるのでした。

  一方で、彼のダンスを見ていると映画「ヒストリーオブバイオレンス」を思い出します。昔ここでも感想を書いています。ギャングから足を洗い、平凡な家庭における夫、父として生活している主人公のもとに過去からの来訪者があり、そこで自分の生活を守ろうと彼らと対峙するという映画です。この映画におけるアクションには陶酔も迂遠も一切なく、ただただ身体を破壊するための最小限のものです。そして、それを行ったあと、主人公は、そこになんの感慨も持たず、一方で非常に戸惑っている様子をみせます。彼と彼の動きは身体としては異常に直結しているのですが、一方で彼の意思を置き去りにします。そこには、彼自身が抱える、わからなさ、があります。WOWのダンスからも、わからなさ、を感じ、そして、彼自身にも、わからなさ、があるように感じ、ですが、確固として、そこに、身体の動き、それも驚異的な、方向をもたない、あるいはあらゆる方向に働くような、動きがあるのです。

 

 

cream08.hatenadiary.org

 

 


 彼のダンスを見つけたことで、私のアイドルのダンスをみる視線が完全に変わってしまい、他のアイドルのダンスがほとんど色褪せて見えるようになりました。完全にWOW中毒です。もはや、アイドルのダンスという意味では、WOWのダンスしか見るものがなくなったような感じでした。通勤中、深夜眠れないとき、休憩時間、私はひたすら彼の踊っている姿を見ました。どうにかして、彼の動きについて知りたかったし、彼の動きについて考えたかったし、なによりも彼のダンスを見ていると、わからないまま、方向性を決めないまま、こんなにも美しいものが人間に存在できるのか、と強く感じ、私のその時の状況においては、大いなる救いでした。そこには、人生のなかで常に敏感に自分にも他者にも感じていた、「私がお前たちをいまから見てやろうか」という態度も、「お前たちに俺を見せつけてやろうか」という態度も、まったくなく、かといって、なにか本質的なものを取り出して表現しようとする作品性もなく、ただ、ただ、素晴らしく動く身体があり、ただ、ただ、純粋な高揚と快感がありました。私はWOW中毒により、アイドルのダンスではWOWが至上のものであると強く信じるにいたり、年末の歌謡祭などを見られなくなってしまいました、なぜなら、WOWがいないからです。なぜ、ここにいるべきなのにいないのかと思ってしまうからです。ですが、私も冷静な頭が少しだけは残っていますので、その頭で考えれば、私が長年アイドルのダンスにプレゼンスや彼らの自我を見てきたように、衆目をひくためにはそれこそが必要なのです。ですが、同時にWOWのダンスはアイドルという場でなければ見られないでしょう。彼がアイドルを志さなければ彼がダンスをすることはなかったでしょうし、ダンス作品としては彼のダンスはむしろ欠如があるからです。この矛盾すらも、私にとっては美しい運命のように思えます。そういう意味で「中毒」なのでしょう。


 WOW中毒と同時に、インタビューやドキュメンタリーなど、彼らの人間性が垣間見えるものも見始めました。そこで、彼はあまり話さず、何かを見るのが好き、と言っていたり、猫が見てきて怖い、と言っていたりと、不思議な雰囲気を持っていました。A.C.Eは他のメンバーのキャラクターが非常にわかりやすく、真摯で少しドジなところもあるステージではかっこよく存在することに注力するリーダージュン、努力の結果、踊れるようになったという道筋がはっきりみえる踊り方をする困り顔のメインボーカルドンフン、僕はダンスが得意で誰にも負けないんだという意思が常に身体の動きに吹き出しで出ているようなジェイソン(現在は本名キム・ビョングァンで活動しています)、愛嬌があり、すべてをそつなくこなせ、最も気配りができるマンネチャン、という構成です。その中にあって、WOWはなんだかふわふわして存在していました。ジェイソンとWOWがともにダンスを得意とするメンバーという位置づけで、2人でダンス動画を撮ることも多く、彼らのダンスの対比が、まるで、少年漫画のライバル関係のようで、魅力的でした。WOWは彼がダンスをはじめたきっかけやダンスに対する思いを話すことはその時点ではほとんどなく、彼のダンスに関わる情報は振りをすぐ忘れてしまうということくらいでした。どうやら、やはり、彼は、あれだけ踊れるのに、さしたるこだわりをダンスに持っているわけではなさそうだ、ということが、わかるにつれ、そのような精神性にも非常にひかれていきました。(あとからわかったことですが、彼はもともと音楽がやりたくて、ダンスはアイドルを志すにあたり、あとからはじめたものでした。)


20170915 Yeouido Hangang Busking - Dance Time #ACE #에이스

 また、A.C.Eというグループ全体においても、彼らが、ホットパンツという衣装や、カバーダンス、女性アイドルの曲のカバーなど、それらにまったくフラットにただただ注力し、良いものを残そうとする態度に希望を感じ、とにかく彼らに商業的に成功してほしいと思うようになりました。しかし、彼らの活動は恐ろしくインディー感あふれるもので、cactusで活動した後、次のシングルを出すためにクラウドファンディングをはじめ、その後、2曲目callin'をリリースし、約1週だけ活動したあと、2人と3人にわかれてTHE UNIT(デビュー経験のあるアイドルを対象にしたリブートサバイバル)とMIXNINE(YGが中小事務所をめぐり練習生をピックアップし新たなグループを作るサバイバル)というサバイバル番組に出演します。この時点で、私はクラウドファンディングに課金したり、メンバーの衣装と同じ服を紆余曲折をへて購入したり、いままでにはないかかわり方をしており、グループとして活動して成功をつかんでほしいと心から思っていたため、サバイバル番組で彼らを見ることに非常に抵抗を覚えました。WOWのダンスが唯一無二であり至上のものであると思っており、それがサバイバルという文脈で評価の俎上にのるのが耐えられませんでしたし、もしサバイバル番組を誰かが勝ち抜きデビューすることになれば、グループ活動が滞るからです。ですが、WOW中毒としては、彼が動いている瞬間は一瞬も見逃したくなかったので、MIXNINEを目を皿のようにして見はじめました(THE UNITは心の負荷を減らすために一部しか見ていません)。ここでは、プデュでは積極的に行っていたハードな状況にある若者に自分を憑依させることなどできるはずもありませんでした。そういうところとは無縁なものを自分に与えてくれるWOWのダンスがハードな文脈に放り込まれていることが、ただただつらかったです。彼は踊りながら歌うことがA.C.Eの他のメンバーにくらべて得意ではなく、また、自分を積極的に押し出すタイプではありません。おそらくそのせいで、低いクラスから番組をスタートさせました。順位も他のメンバーにくらべて低く、その葛藤が番組で取り上げられることもありました。徐々に存在感を示して、順位をあげました。しかし、THE UNITにしてもMIXNINEにしても、プデュとは違い、注目度が非常に低かったです。どちらの番組でも参加している子たちは最大限努力し、プロ意識を持ち、良いステージを作っていたと思いますが、注目されておらず、まったく成功への道筋が見えませんでした。わたしはかなり精神をすり減らしながら、ミックスナインを最後までみました。結果としては、ドンフンとジェイソンは最終メンバーに選ばれ、WOWは最終評価まで残ったものの彼だけが最終メンバーからはずれました。THE UNITでは、チャンが最終メンバーに選ばれ、その後、デビューしました。MIXNINEはその後YGと各事務所と活動の方向性において折り合いがつかず、結局最終グループはデビューしませんでした。その後YGの諸問題で、ヤンサがYGを去ったことで、私の中でMIXNINEとはなんだったんだ、という気持ちが強く残りました。ただ、注目度が低かったとはいえ、そこで新たなマスターがついたり、多少ファンが増えた感覚はありました。日本でもそこそこ認知度が上がり、日本でもライブをしたりするようになりました。はじめて生でA.C.Eをみたとき、WOWが映像でみるよりも、常に、とてもゆったりとした動きをしており、本気で感動しました。同時に、トークなどでの彼の様子は、脳天に響くほどにかわいらしく、高貴で、わけへだてない様子がありました。はじめてのライブの帰り道、歌舞伎町を歩きながら、心の拡声器で、WOWかわいいかわいいWOWかわいいかわいいか!わ!い!い!、と叫んでいました。そして、わたしのWOW中毒は、いまにいたるまで、いろいろな変化をしつつ、保たれています。A.C.Eの活動も順風満帆とまではいかないまでも、定期的にカムバして活動できています。THE UNITに出演していたMVPというグループがあります。彼らはA.C.Eと同じようにデビュー後すぐサバイバルに出演しました。そして、いまにいたるまで、一度もカムバしていません。彼らのことを思うと、A.C.Eがここまで活動してきたことが本当に奇跡に思えます。ずっと彼らに商業的に成功してほしいと思ってきましたし、WOWに対しては、本当につらい時期に救いになってくれたので、本当に感謝の気持ちがあり、彼の人生が本当に幸あふれるものになってほしいと思ってきました。いまでもそれは変わりませんが、WOWがダンスとは別のところで、時折見せる葛藤や苦悩に触れるようになって、ときどき、私にとって最も救いになる彼のダンスが、そもそもは彼の葛藤や苦悩を前提にしているものなのだろうか、と思ってほろ苦さを感じたりもします。メンバーの年齢から、そろそろ活動にタイムリミットが生じてきました。A.C.Eの道がどこまであるかわかりませんが、いま彼らを見られる瞬間を大切にしたいと思います。

 さて、ここまできたら、あとは佐野狂いの話を残すのみになりましたが、極私的にはWOW中毒があってこその、佐野狂いであり、WOWに出会うもともとのきっかけであるプデュが日本で放送されたところで佐野くんに出会ったのは、私の中では円環のように感じられ、この文章を書くにいたったと思います。本当にすべて自分のなかのつながりであり、ですが、同時にとても遠い風景として存在する、アイドルとは本当に不思議なものだと思います。

 

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