わたしと(の)K-POP 佐野狂いまで ②沼の一歩手前 EXO f(x) VIXX BTS

 SHINeeにハマったことで、K-POP全体に目を向けるようになり、色々なグループの曲を聞いたり映像を見たりするようになりました。私がこれまで一番深くハマったと感じるのは、SHINeeとA.C.E、そして佐野(佐野...)ですが、その一歩手前までを、ここでは振り返ろうと思います。なぜ、一歩手前なのかを考えたとき、ひとつはグループの中の個人にものすごく深く入り込むことがなかったから、もうひとつは、K-POPを聴くようになる前から好きだったものと接続しやすく、後ろから急に襲われてどうしようもなくハマった、、といった感覚ではなかったから、ということがあるように思います。あとひとつ、これが一番大きな理由かもしれません、出会った時、私の人生がそれなりだった、という、、常につらいときにハマる、、それが一番深い、ということなのかもしれません。

 


まず、EXOについてです。当然、SHINeeにハマった以上、そのあとにデビューしたEXOは、壮大にデビューTeaserが多発されたところから、一生懸命見ていました。もともと中華圏の映画やドラマが好きだったことから、特にMを中心に見ていました。ですが、Mを中心に見ていたのは他にも理由があって、デビュー時にEXOの顔であったカイのことが、少し怖かったからでした。彼のダンスは、なんというか、自身のもどかしさや行き場のないエネルギーのようなものを直接、身体の動きとして表現しているような感じがあり、それが、EXOという、非現実的な設定のもと進められるプロジェクトの中にあっては、多大な齟齬があるような気がしてしまい、どのように見ればいいかわからなかったのでした。また、最初はKとMで完全に活動が分かれていたので、とにかくMの方を見ていました。とにかく盛りに盛られた設定のなか、なんだか懐かしさを感じさせる曲が壮大に打ち立てられていく様は壮観でした。個人でいえば私はチェンが好きでした。理由は至極単純で張震(俳優)に少し似ていたからです。こういうところからも、アイドルグループを見ているというよりも、どこか映画をみているような感覚で、眺めていた気がします。EXOは、自分の中でははっきりと物語だった気がします。別々のところから集まった人たちがなぜか行動を共にし、なにかしらの紐帯がうまれるという物語です。それは、設定としても彼ら自身の物語としても、です。従って、メンバーが1人ずつ去っていくことで、私の中の物語が維持されなくなり、だんだんと心が離れました。ですが、その都度その都度の構成で、活動を続けているのを遠くから眺めていると、いまは、彼らからそれとはまったく別のタフネスを感じます。

 


EXO-M 엑소엠 'WHAT IS LOVE' MV (Chinese Ver.)


 EXOとともにf(x)もかなり一生懸命聴いたりみたりしていました。私は女子アイドルに深くハマることがあまりありません。なぜかというと、おそらくですが、私のジェンダー観の歪みによると思います。女性性を忌避するような家庭で育ったため、私は、女性であること、に大きなコンプレックスを抱いて育ち、今に至るまで、そのコンプレックスはなかなか解消されません。そのコンプレックスから、私には、男性への復讐心と、女性への拒否が、同時に存在し、女性を見るときにどうしても自分を男性的な位置に置こうとしてしまうところがあります。これは、かなり自覚的に修正しないと、自然にそういう視点になってしまうので、その自分に苛まれてしまいます。自分の視線もその視線にさらされるアイドルの苦境も身に迫ってきて苦しくなってしまうのです。(同時に男性アイドルには同一化と復讐心を持って見ていても、そこまでの苦しさは感じないので、業があるなと思います。)ですが、私は、ポップミュージックにおいては、女性の声の方が聞いていて心地いいので、音源としては女性アイドルの方をよく聞きます。f(x)は、それに加えて、見る見られるということを非常にニュートラルにする力があり、いい意味で性を感じさせずに世界に入っていけました。私が最も好きなf(x)の写真の中で、5人はバラバラのところを見ています。これが私の中ではf(x)の象徴です。寄り添うでもなく、元気づけるわけでもなく、ただそこにいる、そこにいるそのシルエットがなによりも人を惹きつける、というニュートラルさが彼女たちのパフォーマンスにはあったような気がします。同時にケアと怒り、そのどちらでもなく立てる女性の姿に勇気付けられたということもあると思います。ちょうど里帰り出産をしたときに、Red Lightがリリースされ、なにもないような田舎の夏のなか、赤ちゃんが寝ている横で、分厚いブックレットをみていると、まるで、そこから幻想の通路がつながっているように感じたのをよく覚えています。ですが、実際は彼女達の道は常にかなりの苦境にあったように思います。私がアイドルに向ける視線は常に自分勝手なものである、と強く感じます。それに感謝するときも謝りたくなるときも、どちらも同じくらいにあります。

 

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f(x) 에프엑스 'Red Light' MV

 

 ここまでは、SM関連ですが、そのほかでハマったのがVIXXです。多感な時期にビジュアル系バンドがうなるように流行っていたので、私ももれなくそこを通ってきました。なので、そこにあった要素がアイドルに非常に先鋭的なかたちで取り入れられているVIXXに、いっとき非常に夢中になりました。特にVoodoo Dollで活動していたとき、PVを狂ったようにスクショしました。私は皮膚の変態を見るのが好きなので、ヒョギの腕が、木肌、あるいは鱗のようになっているのをみて、ものすごく興奮してしまい、すごい!!アイドル!!すごい!!と心の中の校庭を走り回りました。すべてのメンバーが異なる皮膚の変態をまとって、演出過多のダンスをするPVをみて、すっかりハマってしまい、そこから、あらゆるコンテンツを遡りました。曲も、SHINeeなどに比べると、比較的馴染みのあるハードさがあり、心が繋がりやすかったです。ここでも、私はまだダンスをダンスとして楽しむことはなく、一番みていたのはホンビンとケンでした。ホンビンが踊るとき、ぎしぎし、という音が関節からするんじゃないか、というくらいの、ぎこちなさがあり、あまりに芸術的なぎこちなさなので、感動しました。ケンに関しては、最も、VIXXが提示する世界観にビジュアルが合致しており、よくやったものだなあ、、と毎回感じていました。どちらにしても、ダンスをメインでやっていないメンバーの折り合いのつけ方を、興味深くみていました。ですが、私がVIXXに一番求めていたのは、先鋭的な世界観であり、当然それは常に変遷するので、カムバごとに合致の程度がかわり、つかず離れずの距離をとってきて、いまに至ります。

 

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빅스(VIXX) - 저주인형 (VOODOO DOLL) Official Music Video

 

 最後にBTSです。ここで取り上げるなかでは最もハマっていたといえます。コンサートも数回行きましたし、ファンクラブにも入っていました。BTSはデビュー当時から音楽番組なので見かけていましたが、その時は、なんだか変なメガネをかけている人(ラップモンスター)がいるな、という程度の認識しかありませんでした。興味をもったきっかけは、TwitterのTLに流れてきたラップモンスターのインタビューでした。そこには、ヒップホップということを意識的に取り入れたこと、化粧をすることの意味、アイドルなのかアーティストなのかという命題について、などが書かれており、こういうあり方もあるんだと思い、そこから、彼らが独自に公開しているコンテンツを見るようになりました。そこで、自分たちの出自や立っている場所を明確にしつつ、発信される曲に触れて、ほんとだ、ヒップホップだ、と思いました。ローカルなところに自分を位置づけて、自分と自分を取り巻く周囲について話す、そして、ここからより広いところに発信するという意思を示す、ということをしていて、それが、とても、おもしろく、リアルさ、というのを感じました。私にとってヒップホップというのは男性性を寝かせるのも込みでめちゃくちゃに立たせてみせる、というイメージがあり、なかなか入り込めないジャンルでした。ただ、局地的にものすごく好きなものもあったりして、アンビバレンツがありました。なので、アイドルとしてヒップホップをする、ということに興味をもち、かつ、それが、かなり奇跡的なバランスでどうやら成り立っているようだと感じ、すごい!!と再び心の中の校庭を走り回りました。彼らの作品には彼らの葛藤やそこを通った結果の決意がそのまま語られており、漏れだす葛藤をこちらが感知する、というタイプのものではありませんでした。ですので、ここでは、主役は語られることそのものであり、それを語る彼らでした。ですが、私がハマった時点で彼らは花様年華の時代に入っており、そこでは、また異なる葛藤があるような気がしました。それは、ヒップホップをアイドルという場で体現しようとすると、実際は、自分がローカルなところからここまで一本道で通じてきたというリアルな感覚と、一種ステレオタイプ的な若者の危うさとが、どうやらひとところには収まらなそうだ、ということでした。彼らのその時期のPVは、なにかしらの袋小路、もはや、その映像にだけしか存在しない若者演出の中にいて、そこから出られない感覚を与えるようなものが多く、一方で、出自を常に語るということが並列していたように思います。それがおもしろく同時に難しさを感じさせました。

 一方で、私はここではじめて、いわゆるダンスメンバーにハマりました。ジミンです。彼は私にとってはカイと似たタイプのダンサーでした。カイをはじめてみたときの恐れは、彼が存在する場所との齟齬によるものでしたが、ジミンの場合は、そこで語られていることが主役である以上、彼のダンスが彼のもどかしさや不安、揺れ、出どころのないエネルギーのようなものを躍動させるものであって然るべきです。そう感じて、私は彼のダンスに夢中になりました。ですが、それも、ダンスそのものというより、彼のプレゼンスにハマったというべきだと思います。彼が彼のことをどのように見せたいのか、その意思が身体の動きとしてあらわれる、また、その際に見せ方に対する迷いもあらわれる、そのあらわれかたを見て、彼の感情を追う、といったようなところがありました。ですので、コンサートに行ったとき、ダンスという意味では、ジミンではなくJ-HOPEに目が奪われました。私はコンテンポラリーダンスを見るのが好きで、ローザスというカンパニーの公演に行ったとき、主宰のケースマイケルが他の女性ダンサーと踊る作品をみて、完全にケースマイケルが他のダンサーの踊りを牽引している、と感じたのですが、J-HOPEにも同じことを感じました。彼が常に、ニュートラルな正確な動きで、しかもヒップホップという文化のうえにたって踊ることで、他のメンバーのダンスを牽引していて、そのことで、彼らにしかない統一感と一貫性がそこにあらわれるんだと感じ、コンサートでは彼ばかりみていました。

 このように、BTSについては、考えるべき要素がものすごく多く、彼らについて、色々と考えてきたなと思います。他にも色々考えたことがあったような気がしますが、これ以上話すと、収拾がつかなくなりそうです。彼らが商業的な成功を手にするにつれ、私の入り口であった、ヒップホップ感が薄れ、逆に非常に戦略的な演出があるような感覚が強くなってきました。そうなると、自分の中で考えてきた要素同士が引き裂かれ、全体像がわからなくなってきました。いまは、新しくリリースがあれば少し見て聞く、ということになっています。日プのコンセプト評価にクンチキタという曲があり、その中に、「練習室 to the ステージ 毎日汗を流してきた」という歌詞があります。これを聞いたとき、これがBTSが与えた影響なんだなあ、と思いました。どの道を通ってここに来たかということをアイドルという文脈においてあらわすことが、彼らのやってきた、ものすごく大きなことであるように思います。

 


【日本語字幕/カナルビ】BTS(방탄소년단/防弾少年団) - 등골브레이커(Spine Breaker/背筋ブレーカー)