わたしと(の)K-POP 佐野狂いまで ④日プと佐野狂い

    私のPRODUCE101JAPAN視聴は、本当に軽くスナックをつまむような感覚ではじまりました。常にプデュをみていたので、Xも見るつもりだったのですが、MIXNINEで精神が摩耗しすぎていたので、MIXNINEに出演していた子がXで号泣しているシーンをみかけて、非常につらい気持ちになり全く見ることができませんでした。ですので、日本でプデュをやると知って、これなら気楽な気持ちで見られそうだぞ、と思いました。というのは、私はいままで日本のアイドルに興味を持ったことがなかったので、完全にそのときだけのものとして楽しめそうだと思ったからです。

    私が日プではじめに興味を持ったのが今西正彦くんでした。Twitterで彼のダンス動画をみて、しなやかなダンスに興味をひかれ、その後宣材写真や、過去のダンス動画などをみて、ダンスも自分のアピールの仕方もとても良いなあと思い、最初は彼を中心に見ていました。また、彼のダンスをきっかけに、主に韓国でのワックのダンスバトル動画をたくさん見るようになり、ある特定のジャンルの成熟というのを知って興奮しましたし、今西くんがそのようなジャンルをバックボーンとして日プに出演していることにも希望を感じました。私が見た中で特に印象に残ったバトルの映像をのせておきます。

 


Calin vs. Jemin - Round of 16 @HOLIDAY IN WAACKING 10th ANNIVERSARY


BABY ZOO vs JEMINㅣWAACKING Semi Final ㅣ2019 LINE UP SEASON 5


SHOW DOWN VOL.5 결승 권혁진 vs wizzard

 

    その後、今西くんのほかに私が主に見ていたのは、ジョニー・トーの映画に出ていそうな雰囲気の河野くん、常に仕事でやってます感が漂う佐藤(景)くん、ダンスがプレーンで心地よい山田(恭)くん、WOWに少し顔が似ている高野くんあたりでした。佐野くんに関しては、同郷だったこともあり、へー、山梨の人いるんだ、くらいの気持ちで、自己PR動画もツカメのチッケムも見てはいました。自己PR映像をみたときの印象は、「不思議なお顔立ちだな」、ツカメのチッケムでは、「上手なのでしょう、しかし、やっぱり、不思議なお顔立ちだな」でした。あとは、初回公開前のカウントダウン映像の印象は、「端っこで地味によい動きをしている」でした。番組がはじまってからは、今西くんのダンスを中心に見つつ、河野くんを脳内黒社会映画に出演させつつ、高野くんのWOW味を楽しみ、とても軽い気持ちで楽しんでいました。軽すぎて、わりと失礼な見方もしていた気もします。また、今西くんが正当な評価をされてほしいなあ、という多少の正義感を持ちながら見ていました。

    佐野くんに特に注目するようになったきっかけは、Twitterで見かけた、w-indsのイベントで佐野くんが踊っている映像です。そこでは、ツカメのチッケムの印象とは違って、とても滑らかな動きで踊る姿がありました。あら、これは、良さそう、と思い、そこから投票するようになりました。同時に他の過去動画も見たりして、興味が高まりました。佐野狂いに入ったのは、ポジション評価のhighlightでした。その時点で佐野くんへの興味がそれなりに高まっていたので、チッケムが公開された時点で、すぐ見ました。そのダンスがまず非常に音楽との調和がありとても良く、highlightで踊る他の子のダンスが音にそっていないような気すらして、少しずつ狂いが生じます。と、同時に、彼が、「淡々とこなすような踊り方をしちゃうので、(をら)見ろよ、俺を、みたいな感じが、あんまりまだちょっと掴めてなくて」と話していたのを見て、WOW中毒である自分がハマるべき真のWOWスポットはここだったのか!!!と、感情が爆発してしまい、その夜はほとんど眠れませんでした。WOW中毒により、ただただ素晴らしい身体の動きをアイドルのダンスに求めるようになっていたので、ここで完全に狂いが生じます。ですから、ここからは時系列を追わずに、私の狂いについてただただ書こうと思います。WOW中毒が並行しているため、WOWの話がまたでてくると思いますが、ご了承ください。WOW中毒については、③に書いています。

 

cream08.hatenadiary.org

 

 


PRODUCE 101 JAPAN|2組|SEVENTEEN♬HIGHLIGHT@#4 ポジションバトル

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   私が日プでの佐野くんのダンスをみて、感じたことはたくさんありますが、まずは、あらわれる自我の薄さです。彼の動きには、動きである以上の意味がないように見えました。当然、振り付けには意味そのものを示すような動きがあり、彼の振り付けにはかなり明らかな意味性を持つ動きもあります。ですが、その意味性が動きの質にまったく干渉しない印象で意味性が非常に強い動きさえもただ動きとして揺れなく存在するようでした。そして、動きから音が聞こえる気がしました。彼のダンスをみていると、音楽のすべての音が粒だって聞こえ、ああ、これは、こういう曲だったのか、と多くのことに気づくようでした。特に最も後景にあるような音が遠くからしかしはっきり押し出されてくるように聞こえるのでした。彼の見せたいものは彼自身でも身体でも演じられる感情でもなく、動きであり、その動きは何よりも音そのものを現していると思いました。そこからは彼の身体もなくなるような、ただただ動きがあらわれては消えあらわれては消えする、インスタレーション作品のようでした。

    また、彼のダンスから私は確固たる秩序を感じました。彼は普遍的な、宇宙すべてに及ぶような秩序にしたがって踊っているように感じました。highlightのときに、トレーナーから、技術にともなう表現力がない、と言われ、その後、表現力が上がり良くなったというように言われていました。ここで、表現力というものがなんなのかはっきりとはわかりませんが、もし、それが、私がアイドルにずっと見ようとしてきた、どのように自分を押し出すか、ということであるのならば、彼はそれを最後までしなかったと思います。もしくは、できなかったのかもしれません。普遍的すぎるものが、すでに技術に存在しているからです。彼は、最後まで、技術にこだわり、技術で現わそうとしたように感じます。秩序が高まればそこに自ずと表現されるものがあります。そして、そこに現れるのは純粋と美だと感じます。私はちょうど日プと並行して何の気なしにハイデガーの「技術とは何だろうか」を読んでいたのですが、そこに書いてあることがすべて佐野くんのダンスのことを言っているように感じられて、はじめてハイデガーをスムーズに読めました。いままでそこにある言葉の存在する次元がわからず理解が及ばなかったのですが、私の狂いと高まりのため、はじめてマッチしました。その中で、次のような事が書かれています。「技術の本質は、技術的なものではありません。ですから、技術について本質的に省察し、技術と決定的に対決することは、一方では技術の本質に親和的でありながら他方では技術の本質とは根本的に異なる領域において、生ずるのでなければなりません。そのような領域こそ、芸術にほかなりません。」佐野くんが日プを通してしたことは、これなのではないかと思えてなりません。彼の技術に向かう意思、そして、その技術を与えられた課題のなかで最大限発揮しようとする際の道筋、それは常に一本の線のように細く強く強情で、絶対に曲げられないという感じがしました。それゆえに、演じる部分や自分の感情的な揺れがダンスそのものに漏れることがほとんどなく、あったとしても、それが彼の動きには干渉せず、乖離して存在するように感じました。一方で彼の技術に向かう強靭な意志が説明しきれないものを動きのなかに存在させ、そこに芸術があったと思います。もちろん、彼の華奢な身体つきやもともとあまり表情が変わらないというような特徴からくる印象も強いでしょう。ですが、やはり、私は、彼の技術に対する意志や誠実さの方を強く感じとり、それが非常に魅力的でした。人が学ぶのは、環境に適応するためです。環境をどのように捉えて適応するのかが個性です。私は、彼から、環境を純粋なものとしてとらえ、そこから、まっすぐに学ぶ、というプロセスを見せてもらった気がします。

   私はWOW中毒になってから、とにかく宇宙自然宇宙自然といいたがる傾向にあり、WOWに宇宙や自然を感じたように、佐野くんにも宇宙や自然を感じました。当然ですが、佐野くんとWOWは違うところが多くあります。まず、私がWOWを見るときほとんどお腹をみています。私にとっては彼のお腹こそが彼の動きが発せられ還っていく宇宙だからです。私がWOWに感じる宇宙は身体としての宇宙です。身体に深く潜っていけば、そこには構造があり宇宙があります。彼をみていると、神に選ばれ祝福された身体だ、と感じます。それほど驚異を感じる身体そのものと巡りがあります。ですが、佐野くんをみるとき、私は彼の周辺の空間をみています。彼の動きが身体というよりは空間から生じるような気がするからです。彼の動きがそこに宇宙をつくり、あるいはそこにある自然に溶け、あるいは鳴っている音を身体をこえて放ち、無限に広がっていくものがあるように感じます。佐野狂いによって、私は頭の中で佐野くんを踊らせるようになりました。私がWOWのダンスを思い出すとき、私の中に小さなスクリーンができてそこにWOWを映して、その前に小さな私が座ってそれを見ています。ですが、佐野くんは本当に私の頭の中で踊っているようでした。私はどうにか彼にデビューしてほしくて願かけのために彼のデビュー公約、リクエスト曲でダンスする、にのっとり、リクエスト曲のプレイリストを作りはじめました。私はダンスミュージックをあまり多く聞くほうではないのですが、なんの音楽を聴いても佐野くんが頭の中で踊っているようになったので、どんどん曲が増えました。プレイリストには、私の中で運動性を強く感じる曲、動きやダンスを象徴する曲が含まれていますが、とにかくすべての音楽で踊っているので、曲はなんでもよいという結論にいたりました。WOWが身体に底のない宇宙を感じさせるのに対して、佐野くんはどうやら遍在し拡散する宇宙を感じさせるようです。私の中では、WOWに対してはより身体性、物質性が高い「中毒」で、佐野くんに対しては、より形而上学的であり「狂い」です。

 

 

open.spotify.com

 

    彼のステージが日プで4つあり、私がそこで得る最終的な印象はかなり違います。ツカメでは、拘束と自由の間にある真空のような場所を感じさせますし、highlightは、音というより曲のもつ周波との調和とそこからつながっている自然、ひろがりつづける水紋や、海の底からのぼってくる水泡、風に揺れ落ちる葉の軌跡といったものを感じさせます。why?では、彼の輪郭の内を音と呼吸がめぐり、それが動きとして広がっていく感覚があります。blackoutは、マリオネットの初恋のようで、高尚と陳腐を動きだけで立ち上げているような気がします。どのステージでも常に彼の動きは大いなる秩序にのっとっているように感じられるのに、です。常に彼のダンスには背反があり、そのどちらともが残らず、美しさだけが残るような、すべてを保ったまま遷移するような、球体が空中で何重にも連なって重なって別々にしかし協調して動いているような、そんなセンス・オブ・ワンダーがあると思います。そして、常に音を現しているので、曲によって最終的な印象が異なり、どのような背反が強調されるのかも異なっているのではと感じます。私が佐野狂いに入って約2ヶ月、本当に彼のステージ上での存在感、彼のダンス、彼のパフォーマンスのことばかり考えてきました。ですが、どうしても、わからなさ、及ばなさがあります。そして、おそらく、それが私にとっては一番の魅力なのです。私の視線も、国民プロデューサーの喧騒も、プデュの残酷さも、それらのどれもが及ばないところにあり、また、それが、確かすぎるくらいに確かに存在しています。わからない、及ばない、いうことが、私に信じることを可能にしてくれます。そのような意味で、佐野くんには類稀なる才と力があると強く感じます。

最後に、またハイデガーを引用したいと思います。

 

大地と天空、神的な者たちと死すべき者たちの織りなす単一性を出来事として本有化するこの反照-遊戯のことを世界と名づけましょう。世界が本質を発揮しているのは、世界が世界することにおいてです。この同語反復的な言い回しが言わんとしているのは、世界の世界するはたらきを、他ならぬものによって説明することも、他なるものにもとづいて根拠づけることもできない、ということです。

………

世界の反照-遊戯は、出来事として本有化するはたらきの輪舞です。それゆえこの輪舞は、輪かざりよろしく四者をはじめて包み込みもするのではありません。輪舞とは、反照させては遊戯しながら組み合う、競技の輪[Ring]です。出来事として本有化しつつ、競技の輪は、四者をそれらの織りなす単一性へと明け開くのです。きらめきつつ、競技の輪は、四者を固有化しては、それらの本質の謎のうちへと明け開くのです。

 


PRODUCE 101 JAPAN|[NO CUT ver.] ♬Black Out@コンセプトバトル


    彼は最終的な順位21位で、脱落してしまいました。彼の練習でのダンスをみるにつけ、彼のステージが常に素晴らしいであろうと感じ、本当にデビューして何度も同じ曲で踊る彼の姿、様々な曲で踊る姿を見たかったです。おそらく、そのたびに、わたしは驚異を感じるでしょうし、背反がぶつかり合う美しさをみるでしょうし、正しい動きと動きの間で揺れる人をみるでしょう。わたしはそれを何度も何度も見たくてたまりません。彼のステージがご用意されることへの渇望が強すぎて、毎日気が気でなかったです。彼のステージでの在り方には恐ろしいまでの及ばなさがあるのに、なぜ、彼の行く末が我々の投票などで決まるのか、という思いが強くあり、身体が二つに分裂しそうでした。プデュ自体も様々な割り切れなさ、すり抜けて商業的に成果があればよい、といったような匂いも残したように思います。そういう意味でも、大きな狂いのなかにいたのでしょう。

    デビューメンバーも決まり、彼のSNSでの感謝のメッセージもみて、私の中でも区切りがつきました。夏休みが終わった感じです。佐野くんは私の自由研究でした。成果は特にありませんが、光がありました。佐野くんの才能と鍛錬、純粋な探求は、佐野くんを決して裏切らないと思います。だからこそ、また、ステージが必ずあるでしょうし、ステージがあれば、私にも、また見られるでしょう。そしてまた、そこに光があるはずです。

 


    私は、この文章を書いたことで、どうやら、少し心が落ち着き、彼の次のステージをゆっくり待てるような気がします。文章を書いて残しておくことには一定の力があるようです。日プに関わったすべての方々、おつかれさまでございました。みなさんに幸がありますように。