感情のために詩をつかっちゃいけませんとのこと


詩は
赤ちゃんの
泣き声と
同じなので
どうということもない
迷惑そうな顔をする
ひともいれば
ちょっと
かわいいじゃねえか
と思って
微笑みかけてくれる
ひともいるでしょう
電車の中で
テツガク

ドウシテ
わたしたちが
イキヅライ
のか

イッショウケンメイ
かんがえる
こと
です
コワイ
コワイ
キライ
キライ
セカイ スバラシイ
と離して
胸の中 置いて
指で ほじくりだすでしょ
解決策ではないのです
キバラシ
それしかないでしょう
全力で
キバラシ
ああ
子どもは
死なないでほしい
本当にそうです
子どもは
生まれないでほしい
と言わずに
子どもは
死なないでほしい

おもうのです
ずっと
赤ちゃんとして
泣いている
ので
ずっと
赤ちゃんとして
泣いていく
だろうなあ

谷川俊太郎
きっと
そうだ
赤ちゃんのあり方は
違えども
吉増剛造
とかも
そうだろうと
おもうよ
気質というものがあるのです
赤ちゃんには
だから
怒ってもよいですよ
俺は違うって

詩は詩のためにかかれるものです
なきごえはなきごえにこたえるものです
本当いうと
詩は赤ちゃんの泣き声と
同じなので
みんなにわかるはずないんです
お母さんにしかわからないの
いっぱいお母さんがほしいの
赤ちゃんのことが
わかるのは
お母さんだけ
(うそ)
赤ちゃんのことが
わかるのは
ずっと
一緒に
いてくれるひと
(うそ?)
ずっと一緒にいてよ
そのために
ずっと
詩をかいているんだから
けど
わからないんだったら
口を塞ぐんでもいいし
蹴りとばすのもいいし
もしかわいいって
思うんなら
首をかしげてまばたきをしたり
なでてもいいんだよ
ほとんどにわかるはずないんです
だんだん
部位が
死ぬのに
泣いてばかり
歯がよわくなったり
おなかがゆるくなったり
しはじめているのに
なあ
まだ
産まれたってことが
こわい