ステム



たしかに、
相手を納得させたり、
論理的に説明したりするのは、
とても苦手で、
よく、研究なんかやってるなという感じ。
もう、論文書きなんて、儀式みたいなもんだもん。
きめられたコード進行に、
どれだけうまくノレるかって。
ほんとはそんなんじゃいけないんだけど。
でも、よく、言葉なんてもので、
コミュニケーションできるよ、っておもう。
進化っていうのは、なにかを捨てることなのかもな。
信号ってのがどんどん失われて、
個体差ばっかり大きくなって、
だから、こんな頼りないものに、
頼るしかない。

伝える
なんて、ビルの屋上から、
地上の針に、
糸を通そうとするみたいなもんだ、
そうかと思えば、
急に人がばらばらおっこってきたり、
だから、
そんなこと、根気よくやる気は、ない、
伝わる
だったらあるかもしれない、
けど、それは、
ことばだけで、できるもんじゃないし、
意味が、足をひっぱる場合だってあるよね、
リー・ペリーの英語は、
ほとんど聞き取れなかったけど、
伝わったよ、

詩をかいてておもうのは、
わたしがコントロールできるのは、
どこに立つのかって、
ことだけ、
どこに立ってるのか、
いま、どんなたいせいなのか、
どんな流れがみえるのか、
それだけ、
伝導とか、
伝達とか、って
それって、あくまで、
通過、ってことでしょ、
通過していくのは、
流れにまかせるしかない、
詩をかいてておもうのは、
どうやって、
息をとめたり、
息をとめたのをやめたり、
するのか、
ってのを、ことばで、
いえるのが、
すごいことで、
わたしがみる夢があるとすれば、
わたしのからだの中の夢だ、
そいで、わたしのからだは、
にんげんの構造だよ、
だから、
そういう、わたしが立つ場所に
もし、ほかのひとが立つことがあれば、
ほかのひとの場所を取るようなことじゃなくって、
うすーくとばす、
にんげんとしてのからだが、
かさなることがあれば、
そのふるえなら、
しんじたい、
わたしたち、げんそうのからだと、
ほんとうのからだ、両方もってるから、
両方もつことができるから、
詩って、生きつづけていける、の、
けして、ことばそのものの力だけじゃない、
知識とか文化とかを取り合ったり、
見えないものをとにかくカバンにつめこんで、
歩けなくなったり、
しょっちゅうおこりうることだから、
わたしは、
わたしの立つ場所を、
ただ、言っていく、
わたしの立ったところから見えたものを、
ただ、言って、
わたしの幻想のからだが、
うつす、色や、
鳴らす、おとを、
うけて、
なにかと、あるいは、だれかと、
いっしょに、ふるえた、
と、しっていて、
しんじた、
ふるえる、
のを、しんじてる、

じぶんを、たすけたり、
だれかを、たすけたり、
だれかに、たすけられたり、
じぶんに、たすけられたり、
そういうことって、
ほんとうに、それは、
だまってたら、なんにもならないこと、
だって、人間って、
頼りないものに頼っているうえに、
みえなかったり、
きこえなかったりする、
アラームには気づけない、
気づこうとしない、
許されようとする、
けど、道は前にしかないから、
ずっと、声を出してなきゃ、
いこう、
足掻くしかないんだ、