帰りのバスのなかで、元ちとせカッシーニ上田現の曲)を聞いていたら、泣けてきてしまって、本当に泣いてしまって、困ってしまった。なんなんだろうなあ。ことばにならないことばっかりだなあ。オリンピックは続いているし、でももうすこししたら終わる。勝ち負けは決まっていく、けどなにも決められることはないんだよって、くるくる電気が言う。音楽と一緒に映像がスローモンションでながれる。背景が消えて、けどわらってる、ないてる、顔をおおう、空をみあげる、煙、怒号、爆発、紙吹雪、歓声、
ぜんぶがひとところからやってくる、ぜんぶがひとところにあったというきもちが、ばらばらに突っ立って、いる、だから、許す、は、簡単に、許さないに、なってしまう。ひとりのひとは、すこしのことしかできなくて、けれど、なにもしないひとはひとりもいない、歩くだけで、メッセージを、ノイズみたいに、落としてしまう。落としてしまうね、手、静電気、影を、歩かせてしまうね。だから、けれど、だから、だから、ぜんぶを帳消しにしない、ぜんぶを帳消しにせずに、落としてしまうものを、拾って、また落として、鳴り響いているな、音楽が、歌が夜を埋めつくしてゆく、だから、けれど、だから、背景は隠れているだけ、ずっとそこにある、埋めつくそうとするものに震わされた隙間が、すこしのことしかできないひとひとひとたちに、たぶん、あって、そこを、さびしい、さびしい、どうしょもない、どうしようもない、どうしよう、が吹き続けてる。
だから、ねえ、あのひとは死んじゃったんだね、みんな、いつかは、死んじゃうんだけど、死ぬ時はみんなちがうから、まだ、こらえていられるよね、
音楽も詩もスポーツもお金も物語も食べ物も色も線も痛みをまぎらわすだけのがらんどうだとしても、悪意を悪意で打ち負かそうとするだけの茶番でも、ただ、痛みはないことにならない、動かなくなる体も一瞬で消えたりしない、映像は、頭の裏側にへばりついてはがれない、だから、すこしだけのことを、する。すこしだけに塗りつぶされそうなわたしでも、ちぎれた縁に風が吹くから、ぜんぶにならないで、まだ生きてる。