雑文

最近、自分の詩の変遷について、考えることがある。なので自分のためにメモを。
わたしは、もともと村野四郎が好きで、村野四郎みたいな詩が書きたくて詩を書いていた。中学生のとき。思想があるのだけれど、その思想はどうでもよくなるような、硬質で祭壇みたいな詩だ。わたしは、ただただ、詩が書きたかった、なにか吐き出したいものや、伝えたいことは特になく、詩を作り上げたかった。あるいは、世界の真実みたいなものを描写しているように見せたかった。中学生のわたしは、それがとてもかっこいいものだと思っていたから。それこそ、神様にでもなったつもりで、世界の真実を暴いてやるんだあ、と鼻息を荒くしていた。あとは、単純に、単語と単語の対応が、かっちりはまって、A:B=C:Dみたいな対比もありつつ、詩そのものに調和がある、といったところにとても重きをおいていた。詩というものは、流れるようなものではなく、いっこの建造物だと思っていたのだと思う。中学生のわたしは、それこそ必死で詩を書こうとしていた。そのころの詩はほとんど手元に残っていないけれど、まあ、村野四郎の真似か、ビジュアル系バンドの歌詞みたいなやつが大半で、とにかく、表面をなぞってる感じだ。そりゃあそうだ、自分がどうかってんじゃなく、世界の真実みたいなもの、あるいはそうみえるものを、必死で打ちたてようとしていたんだもの。中学生の足りない頭と技量で。八木重吉を中学生のときに読んだとき、この人はなんで自分のことばっかり書いているんだろう、そんなの詩っていえるだろうか、と本気で思っていたのだから。そういう点では、中也も朔太郎も、わたしの中ではそのように見えていた。なんて恐ろしいことでしょうね。で、高校生になって、そのことに多少気づき、詩がかわった、けれど、このときも、まだ、わたしは詩を作り上げたかった、とにかく、すてきな、美しい詩が書きたかった。その結果、わたしの詩はものすごくナイーブな感じになった。歌詞からうける影響が強くなったからだと思うが、今思うに、根本は中学生のときと変わってない。かっこよいことをしたいということだ。かっこよくみえる詩をかきたいということ。わたしは詩は美しく、かっこよくあるべきだと、高校生までは信じていたのだが、村野四郎のような詩は自分には書けないということには気付いた。その結果、ナイーブを装うことで、かっこよくあろうとしたということだろう。破壊衝動をもたない人がやる破壊行動みたいなもんだったと思う。中学・高校と、わたしは確かに鬱々とはしていた、けれど、いろんなことを信じきっていた。自分は成功する人間だと思っていたし、なんというか、、特別な人間だと思っていた。いや、マジで、本気で。それこそ、世界から選ばれたくらいに。なので、わたしの詩は、わたしが特別な人間だと示すものなわけだ。だから、内容なんてどうだってよかった、本当は感情とかいらなかった、ただ、わたしの力を示すものであれば。なんてイタイ少女時代でしょうか?ということで、ここらへんの詩は読み返すのもいやな時期があり、ほとんど捨ててしまって、手元に残ってないが、今思うと、残しておけばよかったかなあとも思う。確かに、あのとき、イタかったということは今はわかるが、いまイタくないってわけじゃないからだ。そう思うと、あのイタかったときをとっておけばよかったなと今は思える。どういう動機であろうとも、自分が唯一、必死で「詩」をかきたいと思って、必死で「詩」を書こうとしていた時期だとも今はわかるからだ。
で、わたしは大学生になった。大学生になって、最初の1年間で、わたしの信じているものは、ことごとく打ち破られた。わたしは本気で、世の中にはくだらないやつらがいてくだらないやつらは死ぬべきで、くだらなくないやつらで世界を作っていくべきだと高校生までは思っていたが、まず、世の中にくだらないやつらしかいない、あるいはくだらなくないやつらしかいない、それは一緒ということを嫌になるほど痛感させられた。その結果、自分がなんら特別な存在ではないってこと、いや、もっといえば、ああ、そりゃあ特別だろう、でも特別だったからなんなの?そんなんなんの意味もねえという気持ちをもってしまった。そして、わたしはものすごくやばい感じになった、ほんとにもう生きていけないかもと思った。大学にもほとんど行かず、ずっと家にいた。寝ている以外は、ほとんどタバコをすっていた。そのとき、はじめて、わたしの中で、詩というものが、それが詩だろうと詩じゃなかろうと、必要なものになった。と書きたいところだが、そうじゃない。詩なんて書けたもんじゃなかったし、読めたもんでもなかった。なにか作ったり表現したりする気さえ、まったくなくなった。まるで動物みたいに、寝て、食べて、セックスして、それしかしてなかった。いや、それしかしてなかったわけじゃないが、ここらへんの記憶はその3つしかない。でも、タバコは吸うみたいな。そういう生活の中で、詩なんか書けるわけがなかった。けど、なんらかの転機は訪れるわけで、それがなにかというと、今でもはっきり覚えている。eastern youthというバンドがいて、eastern youthが極東最前線というイベントをやっていて、それに行って、ライブをみて、具体的な感想は今はもう思い出せないが、とても感動して、ライブハウス(クラブクアトロだった)の照明がものすごくたくさんこっちを向いていて、それが鳥の巣みたいだなあと思って、みんなこっち向いてるなあと感じて、なんだかしらんが、そのことがすごいことに思えて、頭がぱーっとなった気がした。それで、家に帰って、一気に詩を書いた。その詩はもうどっかにいってしまって、一行も思い出せないが、そのときの一連の経験ははっきり、とてもはっきり覚えている。そのときから、自分にとって詩を書くことが、なんというか、、ものすごくミラクルなものになった。わたしがかく詩そのものがミラクルなんじゃなくて、詩が書けるってことがミラクルなんだと思った。中・高とわたしにとって重要なのは「詩」そのものだった、そしてその「詩」はわたしが書いたという事実だけでわたしに属していた、その結果、わたしの力を示すものだった。けれど、重要なのは「詩」そのものではなく、わたしであり、わたしはわたしを生かしていかなければならず、そのために詩を書けるとしたら、なんて、それは、すごいことだろうと思うようになった。そして、それと同時に、詩を読むことも、同じことだと強く感じるようになった。事実、そこから、わたしは大分浮上し、アルバイトをはじめ、大学にも以前より行くようになり、なんとか社会生活に戻った。そこで、また、詩を書きたいという欲求がでてきて、また詩を書くようになった。すぐに、これまでずっと自分がやってきた詩作の方法が変えられるわけではなかったのだが、とにかくまた詩を書くようになった。そして、人に見せたいという欲求もでてきて、携帯電話を使って詩を発表しはじめた。そして、その延長線上で、インターネット上で詩を投稿したり、人の詩を読んでコメントしたりするようになった。そして、朗読をするようになった。その過程で、中・高のときの詩作の方法と、大学のときに得た感覚がようやっと、混ざってきた気がする。好きな詩人もたくさんできたし、八木重吉のよさもわかるようになったし、村野四郎はやっぱり今でも好きだ、中・高のときに好きだった音楽の歌詞も改めてみると、ああ、自分はこういうものが好きで求めていたんだと実感することができる。詩には、様々な側面があっていいし、それが詩のすばらしいところだと今になってようやく感じられる。そして、詩はどこにでもある、詩というフォームにこだわることもすばらしい事だし、詩じゃないところにも詩はある。ごろごろ転がっている。そのことを、わたしはとても喜ばしいことだと思う。
と、かなり微妙な着地をしてしまった。。うー。。
途中でめんどくさくなった、みたいな感じだろうか。。