7月22日は、吉祥寺に伊津野重美さんのライブへ。
一番前の席で見て、いろいろなことを思い出した。伊津野さんの朗読はもう何度も見ているけれど、見るたびに思い出すことがある。遠くから見える立ち上る煙のようなのに、近くにあるかすかなあかりでもある。なんだってそうだが、立ち上るものがみえるとき、わたしは緊張しながらも、ほっとする。ほっとするということの意味をまた思い出した。ただ、すごい、と言ってしまえるだけじゃ、いつもなかったということ。わたしも、伊津野さんの朗読を聞きはじめるたびに、どこかを歩いているような感覚になるのだけれど、わたしがどんな風に歩き、どんな風な気持ちでいようとも、立ち上るものがみえ、目をつぶると、あかりがみえるので、ああ、よかったな、と思う。そして、いつも、信じられるものだと思う。
ドラムとのセッションは、隙間をどちらかが埋めるのではなくて、声を音が突き上げるような感覚ですすんでいく、初めて聞いたものだった。こんなこともできるんだ、とまた、新しい驚きもあり。けれど、今回は、なんだか、なによりも、宮沢賢治がとても記憶につきささるように残っていて、まるい青いあかりのなかで、聞いたそれは、なんだか、宮沢賢治のやさしさ、そして、伊津野さんのやさしさ、みたいなものを思わせた。それはきっと、かたくななものだろうけれど、それでいいんだと思う。なんだかわからないのだけれど、それをすごく、すごくうれしく感じた。