トムヤムクン

トニー・ジャーの身体能力は本当にすごいですな。
マッハとはかなり違った映画のつくりになっていて、いろいろなことに挑戦したいというのはわかるのだけど、ちょっとなにかを置き忘れている感がなくもない。
不世出の身体能力を持っているのだから、もっと大事にいろんなことを見極めていくことが、これから重要なんじゃないだろうかと、真剣にトニー・ジャーの行く末について考えてしまった。
マッハとは何が違うかというと、もう、今回は猪突猛進、たたかう動機づけが、象、象、象、象をすくうため、でそれはそれで非常にステキなことなんですが、たたかう相手は人間なわけで、それ、忘れちゃいけないよね、誰と何故たたかうのか、それがたたかっている場面みただけでも伝わってくるようにしなきゃ。わたしがカンフー映画が好きな理由のひとつに、たたかうもの同士の通じ合いみたいなのがどうしても出てきてしまうっていうことがあって。どうしてって比較的長くひとりのひととたたかうから、相手がどんなに格闘シーンのためだけに呼ばれた「使い手」だったとしても、どうしようもないくらい「卑劣な」人だったとしても、なにかしら組み合ってたら噛みあうところがでてくるし、噛みあわないとたたかえないしで、そういう泥臭い、形式ばった、ある意味では(生存のためには)嘘っぽいところが好きなんです。今回、関節技の多様のために、大人数を相手にするとことかは、ほとんどガキッ、ガキッと一発、二発でキメていく。なんか、SPLでの関節技と用い方が違うんですな。で、まあ、いろんな格闘技の相手と無理やりたたかわせるシーンもまた別にあるんですが、トニー・ジャーはもともと香港映画のスタントマンもしてたから、相手がカンフーのときはカンフーのスタイルになるし、相手が剣つかってたら、それに対応するスタイルになるしで、とってつけたような気がどうしてもする。個々の格闘シーンのつくりかたはすごいですよ、さすがと思わされる、道具使い、シーンの設定、スピード感、リアル感、派手さ、そういうのはそこだけみても刺激的ではあるけれど、それを刺激的で、映画自体もサイコーだと思う人は少ないし、そう思ってしまう自分をわたしはどっちかっていうと否定したいなあ。。
アクションスターでも、あくまで、格闘家じゃなくて俳優なんですから、勝ち負けはあってないようなものなんですから、映画の中のひとりの人間がずっとたたかってるんですから、その筋道をちゃんと示さなきゃいけないよね。それはトニー・ジャーの方にだけあっても意味なくて、たたかう相手にもいえることで、映画の中では語られてなくてもその役のバックグラウンドを格闘シーンだけで感じさせなきゃいけないんじゃないでしょうか。お互いみせあわなきゃ。やっぱり俳優なんだから、技に気持ちが入ってなきゃいけないと思うな(って、なんだかなあ、自分。。)。
とにかく、象のために狂ったように人を殺していく、というのは、ある意味、自分には相当な萌えポイントなのですが、そしてそういう役がトニー・ジャー非常に似合うんですが、でもねー、、複雑な気持ちになってしまう。象が非常にかわいかっただけに。。
トニー・ジャーは、とにかくマッハでも今回も、非常に白痴な感じが強くて、ステキすぎるんですけど、もうちょっと、ね、相手役とか悪役とかをもっとちゃんとしないと、その白痴も生きてこないよ。ジミーはよかったんだけどなー。やっぱりわたしはカンフーが好きなんだな。。というか中国が。。
中国人の描かれ方がかなりちょっと差別的というか、かなしかったな、香港映画で日本人がヘンに描かれててもあんまりかなしくならないんだけど、ちょっとかなしかった。。かなしい。。映画の味付けでしかないとわかっていてもねー。
象がでてくることで(象がかわいそうだし、かわいいしで)、すべてがリアルに感じられちゃって、爽快!わるいやつタオシタ!爽快!という感じには全然ならなかった。。
そういう意味では、すごく記憶に残るアクション映画だし、成功してるのかもなと思いますが。
同じ部分が、好きなところでも嫌いなところでもある映画で複雑な気分でした。
でも、トニー・ジャーとはずっと付き合っていきたい。
だって、リアルタイムで絶頂期をみられる、数少ないアクションスターなんだもん。
それだけに、行く末が不安でもありますがね。