詩のことについて考えると、わたしに、本質的な強度はないし、透徹な視点や言葉もない、宇宙がない、うたがない、流れる一本の川がない、ということはわたしのなかに守るものはない、手をかざす場所がない、土壌がないのだから、そのことはずっとわかっていたことだった。そうしたら、ほんとうは、目の前にある、透徹にたれつづけるいっぽんいっぽんのせんに、立ち尽くしていればいいんだ。だまって。それがいいんだ。けど、わたしは、無様にもまだ詩を書いているし、朗読をしたりしている。そして、その無様なことを、ずっとやめられない、ということもずっとわかっていたことだ。そうしたら、わたしはどのように、その無様なことを、どのようにして、やっていくべきなんだろう。無様だ無様だといっているのは、やめて、それを考えていかなきゃいけないときがきてると思う。やめられないことは、わかってるんだから。わたしは、もっとずっと汚れていけばいいな。だれがみてもわかるくらいに、汚れていけばいいな。わたしのこの、空洞に、みんなが、わらえばいい。わらえばいいのにな。卑しいやつだと、罵ればいいのにな。とにかく、わたしのことなんか、どうだっていいんだ、ほんとに、そうおもう。わたしは心底くだらないいきものだ。そしてそれにネガティブな思いなんかもってない、当然のことだ。正も負もない。くだらない、ってことがあるだけだ。じゃあ、なんで、朗読なんてやっているんだろう。わからない、友達がほしいのか?本当にそうなのか?褒められたいのか?それはあるんだろうな、多分。けど、褒められて本当にうれしかったことがあるのか?それはないな、多分。わたしの詩は、わたしがあこがれ続けた詩から、どんどんどんどん離れていく、そして、わたしは、もう、それを止められそうにない。わたしの詩は、わたしのなかからでてきたものなんかじゃない。ただ、やせっぽちな怒りをおしとどめることができない。この目の前のいっぽんいっぽんの線が、乱されるのに、怒って、そうして、言葉を吐いて、自分が、また、その線を乱して、また、やせて、空洞がふえる。空洞はぶよついている。どうして、抱きしめられないんだろう、だまって、抱きしめることができないのか、手足がみあたらない、胸がない、抱きしめることができない。目の前のいっぽんの線は、澄んでいて、わたしを汚したりしない、ただ、そこで、乱れるだけだ。わたしのやせっぽちの怒り、喧嘩もセックスもはじめさせることができないこのうすっぺらな怒り、なら、バカにしてもらう、ということはできる?わたしが怒っているのをみて、バカなやつだなあと笑えるか?それくらいのことが、できたらいいのに、ほんとうにそう思う。というより、そうやっていくしか、もう、ないんじゃないかと思う。わたしは、もう、無様にからっぽに怒りつづけてればいいんだ、そうしたら、いつか、誰かが、笑ってくれるかもしれない。おわってるよ、ゆるされねえよ、ってわらってほしい。がんばるから。



明日は、ベンズでチャンピオンステージがあります。
詩集つくったので、詩集からどんどん読みます。

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