コマンド


3時半過ぎのマクドナルドは絶対的に人が足りない
レジの前には常にまばらに人がいて
きょろきょろしている
たぶんゆるされていはいないので


無自覚にことばを使うことほど気持ちいいことはない
ウエルニッケエリア
ブロードマンエリア
チョムスキー
生成文法
モジュール
ピンカー
ボノボのカンジくん
領域固有
制約
どんどんからだが宙に浮いていく
ゆるされていはいないって、一体何に?
誰が、誰に?
しらねえよ、そんなこと
つまりは、そういうことだ
埋め込まれているって信じている
人間らしさとか言語とか
脳にからだにこころに
われわれはうちゅうなので
幻想のような
うちゅうなので う ちゅうなので
モジュール
生成文法
クーイング
ミラーニューロン
からだがちゅうにうちゅうにゅうちゅう
むじかくにことばをつかうことほどきもちいいことはないよ
簡単なことだ

ポテトはずっとあげつづけられている
ケチャップをもらうのを忘れたので
ポテトの味はどんどんうすくなっていく
いや、こくなっていく
焼き魚がしょっぱいときにはしょうゆをかける
みたいなもんだ
均一になっていく
入り口近くにたっている女の子の
もってるかばんはヴィヴィアン・ウエストウッドので
耳にはドクロのピアスがゆれてる
ドクロのピアスは穴が開いていることでドクロになっている
確かにかきくわえるよりも穴が開いていることの方が
ドクロ足りえる どくろたりえる んだとおもう


詩なんて誰にだって簡単に書ける
詩のようなものは気持ちいい
読むよりは書く方が気持ちいい
大丈夫だ なんだか上の方に座っている風に見える
彼らは 自分で幻想の椅子を積み上げただけだから
きみの指一本ですぐにおっこちてくる
詩なんて誰にだって簡単に書ける
みんな自分の話がしたくて仕方ないし
他の人の話は聞きたくない
主に過去の恋愛やらいじめやら夫婦関係やら社会問題やら
具体的な事柄も
宇宙の摂理やことばがどうやってうまれたかとか悟りみたいな
抽象的な事柄も
みんな一緒だ 結局は同じことなの
ただひとつみんな自分が言いたくてしかたない
だから詩のようなものは気持ちいい
読むよりは書く方が気持ちいい

たとえば、ここにCDがいちまいあるAntony & The JohnsonsのI am a bird nowだ
ルー・リードが、サイコーっていって褒めたらしい
事実、サイコーだ。
シルクワーム、からだがきりきざまれている気がする。
らせん状に。
それは、どんな風なのかって、しらねえよ、からだをきりきざまれたことなんかない
ただ、芸術はしらないことをしっているように、かんじたことがないことをかんじたことのあるように、してくれるんだってさ、ノン。

→このCDの曲を順番に書き出してみる

Hope There's Someone
For Today I'm A Boy
Man Is The Baby
You Are My Sister
What Can I Do?
Fistfull of Love
Spiraring
Free At Last
Bird Gerhl

→適当に日本語にします


だれかがいるという望み
今日、私は少年です。
男は赤ちゃん
あなたは私の姉(妹)です。
何ができる?
一握りの愛
らせん状に立ち上ること
ついに、自由です。
鳥のGerhl



→つなげてみる。順番もつなげかたも好き勝手に。

男は赤ちゃんのようなもの
で何ができる?
何ができる?
と鳥のGerhlに言う
だれかがいる
という望みをもてる
今日、わたしは少年です
一握りの愛が
らせん状になって
立ち上っていく
ついに、自由
おまえは
いつまでも私のいもうと


ほら、できた。
多くの人は
たぶん、こんなふうに
無自覚に気持ちよく詩をかいているはずで、
それでいいんじゃねえの?
詩なんて誰にでもかける
それが詩がすごいところで
結局のところ
自分がどうしてここに立っていられるのか
どうしてそこに立っていられるのか
を考えると
自分が自分であるのは
あまり自由にはできないからだだけ
ラップをするひとは
ずっとラップをどうにかこうにかつくって
やってきたひとたちがいなければ
いまラップなんてできないし
韻の踏み方も言うことの内容も
わからないんじゃないの?
だからリスペクトリスペクト言ってんじゃないのかと
思うけどどうなの?
言葉なんて借り物に過ぎない
手をあわせながら
蹴りをいれるのが
ジャンルとか言葉とかに
みせることのできる礼儀だとして



全部、自分でやれる気になってんじゃねえよ。