最近考えるのは、自分にとって詩は、ロッククライミングをするときにつかむ岩とか、壁面にさすボルトとか、そんなようなものなんじゃないかなということ。その1点から、詩に特異性なんてない。音楽にもない。絵にもない。舞踊にも芝居にもオペラにも映画にも、特異性なんかない。人間がまるまるってことと、同じようなもんだ。口を開け放って、さあ、中に何があるかよく見ろ。うようよ、と、詩やら、音楽やら、それは菌とかとかわらない、誰かのところから、何処かからやってきて、いる。たぶん、生きているなら、短いスパンで小さいことを見出していかなきゃいけないし、じいっとしていても、踊る感覚が必要だ。リズムを追う、はずす、くちびるをなめる、まばたきをする。口内炎をなめる、痛みがうすれていくのを、確認する。棚から、一枚CDをひっぱりだして、機械の中に放り込んで、音楽を聴く。歌っている人の名前、バンドの編成、歌っている人のひげの形、Tシャツのすそ。彼らがいまの時間なにをやってるか、馬に乗っているかもしれないし、プールに浮かんでいるかもしれないし、あーーーーーーー、まさに、いまわたしの部屋で鳴っている音楽を演奏しているのかもしれない。ウオーーーーーー、って、たいしたことじゃない。いたくもかゆくもない。ネコが輪切りにされても、体液がでていくをとめられなくても、ボルトのなかのことだから、たいしたことじゃない。わたしの指は切れていない。ヘルツオークってなんだかしらないが、ヘルツオークって声に出して言えた。バンz−イ、ばんZA−い。たぶん、ヘルツオークって誰か、なんじゃないかな。だから、また、口を大きく開けて、ほら、ここに、君が知ってる人がいる、妖怪も、妖怪じゃなくても、わーい、固有名詞、って気持ちいいね!って言っているよ。泣くの?歓迎だよ、土に頬をすりつけたくなるくらい、いやらしいから。過激なことをしらない、特別な体感をしらない、原因をしらない、結果をしらない、ただ、ほら、奥歯のところにディスコトーションがいる、のどちんこのところにイアンがいる、★★★★★★★★、銀歯にイギーがつぶされている。だから、言っている、帝国をつくろ、ってやり方があるって。榎本俊二の「ムーたち」のなかで、虚山実が言っていた、「「いただきます」はたった一言で膨大な殺生を一瞬でチャラにできる夢のおまじないなんだ」。牛の模様にむしゃぶりつく、穴をひろげる、穴をひろげる。からだの穴をぜんぶひろげる、ふやす。その1点から、漫画に特異性なんてない。詩にもない。小説にも。ねー、なんで、チュートリアルの徳井さんには、Aカップくらいの胸があるの?なんで、なんで、「夢のおまじないなんだ」、なんで。頭の中にぎゅうぎゅうにある、まる感覚。まる感覚は、まるがぎゅうぎゅうにある感覚じゃなくて、まるみをおびたものがおしあいへしあいしている、感覚のことです。まる感覚。頭の中にぎゅうぎゅうにあるまる感覚。だから、鼻水がでるし、目が裏返るし、その1点から、まる感覚が過剰であることがわかるのです。夢のおまじない、なんです。詩も音楽も、穴。